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10月2日から放送中の連続テレビ小説『ブギウギ』 で主演を務めている趣里(しゅり)さんです。
この写真をご覧いただくと、昭和の雰囲気に懐かしさを覚えますが、趣里さんの身体の柔らかさに目がいきます!
趣里さんはバレエ経験があり相当な実力者なのでは?と気になり調べてみました。
そこで今回、記事にしたのはこちらです。
それでは一緒に見ていきましょう!
趣里さんがバレエを始めたきっかけ
趣里さんは幼稚園の頃に、同級生のお友達に「一緒にやらない」と誘われてバレエを始めました。
父親の水谷豊さんは一人娘の趣里さんを溺愛していたと聞いていましたので、英才教育でバレエを習わせていたのでは?!と思ってしまいましたが違っていたようです。
彼女の通っていたスクールは東京の世田谷区にある「井上バレエ公団」という名門校。
4歳からクラッシックバレエを始めたそうですが、ちびっこクラスの発表会、さぞかわいらしかったでしょうね。
きっと父親の水谷豊さん、母親の伊藤蘭さんも一人娘が舞台で踊る姿を、目じりを下げて見ていらしたんじゃないでしょうか。
お二人がにこやかに発表会を見ている姿が想像できますね。
6歳の頃に舞台デビューを果たし、カルメンを演じました。
その時点で、すでにプロってすごいって感じていたそうです!
小学校1、2年生の時期にプロの意識があったなんてすごいですね!
11歳の時に「くるみ割り人形」の主役のクララ役を演じ、そのことがきっかけとなって、本格的にバレリーナを目指したいと決意します。
主人公に抜擢されたという実力もさることながら、心の底からバレエが大好きだったんですね!
「やればやっただけ基礎が身につくし、努力した分だけ体が動く」と彼女自身も言われています。
そのことから、本気でバレエに取り組んでいた思いが伝わってきますね。
趣里さん15歳でバレエ留学のため単身イギリスへ
桐朋女子中学校卒業と同時に、インターナショナルスクールに3か月通い、15歳の時には更なるバレエの勉強のため、イギリスの学校へ単身で留学されるまでになります。
高校に進学せずにバレエのためにイギリスへ単身留学。
バレリーナになるという強い意志を感じますね!
イギリスの留学先は「Arts Educational School(アーツ・エデュケーショナル・スクール)」。
Arts Educational Schoolは『オペラ座の怪人』な作曲家、作曲家、男爵アンドリュー=ロイド・ウェバーを代表とする伝統のある演劇学校で、『サウンドオブミュージック』のジュリー・アンドリュースを始め、多数の有名なアーティストを生み出しました。
入学するにはオーデションに合格しないといけませんので、趣里さんのバレエの才能、実績はかなりのものだったと思われます。
学校は午前に授業、午後にバレエのレッスンというスケジュール。
バレエ漬けの毎日ですね!
趣里さん自身も「憧れのヨーロッパで、しかも大好きなバレエにどっぷり浸かれる幸せな生活だった」と振り返って言われていました。
趣里さんは怪我でバレリーナの夢を断念
17歳の頃、イギリス留学中に起きたアキレス腱断裂と足首の剥離骨折というバレリーナにとって重大な怪我をしてしまいます。
イギリスのバレエ学校に留学し、プロを目指して大好きなバレエにどっぷり浸かる毎日を送る趣里さんに悲劇が襲います。
バレエの練習中、ジャンプの着地で失敗してしまい、バレリーナにとって致命的なアキレス腱断裂と足首の剥離骨折を負ってしまいます。
医師からは『以前のようには踊れないだろう』と告げられ、趣里さんは治療のため留学を中退し、日本に戻ってきました。
日本に戻ってきてからも治療やリハビリを続け練習に打ち込んだようです。
しかし今までのような動きができず、趣里さんはバレリーナの夢を断念せざるを得ませんでした。
バレエ以外にこんなに続いたこともないし、こんなに没頭したこともない。
それくらい大好きなバレエ。
でもバレエは1人でできるものではないし、今までの動きができないとなると周りにも迷惑がかかってしまいます。
大好きなバレエを続けたいと思うのと同時に、辞めなきゃいけないと自分が1番わかっていたはずです。
この決断をしたのは本当に悔しかったと思います。
ご両親も娘の夢を叶えてあげたかったでしょうし、ご家族も一緒に苦しまれたことと思います。
それなのに趣里さんは「大学に行けば新しい道が見つかるかも知れない」と気持ちを切り替え、大学入学の資格(高等学校卒業程度認定試験に合格する)を得て一般受験で明治学院大学の文化芸術学科に見事合格しました!
こんな状況でも気持ちを強く持ち、前に進める。
趣里さんは強い精神力の持ち主ですね!
3人で一緒に辛い思いを乗り越えたんでしょうね。
趣里さんが俳優の道を目指したきっかけ
趣里さんはバレエを活かせる演技を学び、恩師からの後押しもあり、女優になります。
趣里さんにとって、将来これ(バレエ)で生きていこうと思ったことがなくなってしまいました。
でもバレエをやっていた時の気持ちが簡単に蘇ってしまう毎日。
趣里さんはもしバレエというものを活かせるならなんだろう?と考え、舞台なら身体表現も役に立つのではと思うようになります。
気分転換で演劇を観に行く機会も沢山あり、バレエを観たあとの高揚感やワクワク感が「あっ、お芝居にもあるなぁ」と感じ、もう1回チャレンジできるかもしれないと思ったそうです。
そこで趣里さんは映画監督であり俳優の塩屋俊さが創立した演技学校「アクターズクリニック」に入門します。
出展元:https://www.oricon.co.jp/
アクターズクリニックは1994年に創立し、これまでにプロアマ問わず多数の女優・俳優を指導。
相武紗季さん、桐谷健太さん、鈴木亮平さん、向井理さん、夏菜さんら、多くの卒業生が各方面で活躍しています。
「俳優としての成長は、人間としての成長と同義である」という考えの元、自分を出す、個性を認めるというような学校だったと趣里さんは言っていました。
そこで趣里さんは演技の面白さにふれ、女優としてやっていきたいと強く思うようになります。
しかし当然のことながら、両親と同じ道を進むとなると、大物俳優の子供として見られ周囲から揶揄されたりもします。
生半可な覚悟ではできないとプレッシャーを感じていた中で、
「でも、お前は大丈夫だから頑張れ。女優を続けていけ」
と塩屋俊さんから強い後押しを受け、女優を目指すことを決心したんだそうです。
バレエで培ってきた演じることや、舞台での立ち位置に必要な空間把握能力、舞台用語などは女優業でも活かせているんだそうですよ。
今まで積み重ねてきたものは無駄じゃなかったんですね!
趣里さんのまとめ
- 4歳の頃、お友達に声をかけられたのがきっかけでクラシックバレエを始めた。
- 15歳の頃に更なるバレエの勉強のため、イギリスの学校へ単身で留学。
- 17歳の頃、イギリス留学中に起きたアキレス腱断裂と足首の剥離骨折というバレリーナにとって重大な怪我をしてしまい、夢を断念。
- バレエを活かせる演技を学び、恩師からの後押しもあり、女優になります。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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