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フリーアナウンサーとして活躍し続ける中井美穂さん。
彼女のパートナーは、元プロ野球選手であり、野球解説者としても知られる古田敦也さんです。
二人はどのようにして出会い、夫婦となったのでしょうか?
また、結婚から約30年が経つ今も、円満な関係を続ける秘訣とは?
本記事では、二人の馴れ初めから結婚生活のエピソード、そして子供に関する話までを詳しくご紹介します。
- 中井美穂さんと旦那の古田敦也さんの馴れ初め
- 結婚に至るまでの経緯
- 中井美穂さんの子供の有無
- 中井美穂さんと古田敦也さんの結婚生活
中井美穂さんと旦那・古田敦也さんとの出会いと交際のきっかけ
中井美穂さんと古田敦也さんの出会いは、1993年の夏に同僚アナウンサーを介した食事の席でした 。
当時フジテレビでスポーツ番組を担当していた中井さんは、野球選手と知り合う機会が多かったものの、自身は「まさか自分がスポーツ選手の妻になるとは思わなかった」と語っています。
実際、1989年のインタビューでも野球選手との結婚は考えられないと答えていたほどで、中井さん自身スポーツ経験がなく野球に詳しくない“野球オンチ”な一面もありました。
しかし古田さんとたまたま知り合い、会話を重ねるうちに次第に惹かれ合い、自然な形で交際に発展していきます。
試合後に電話で話したり、一緒に食事に出かけたりするうちに、ごく普通の友人関係から恋人同士へと関係が深まっていったのです。
交際が始まると間もなく、1994年2月には女性誌に2人の熱愛が報じられました。
取材を受けた中井さんはこの時、「いいお友達としてお付き合いしています。まあ、よく食事とか」とコメントし、古田さんとの仲を“友人関係”と説明しています。
また「結婚なんて全然ないですよ」とその時点では結婚の可能性を否定してみせました。
しかし実際にはこの頃すでに順調に愛を育んでおり、周囲で交際の噂が広まる中でも静かに関係を深めていったのです。
参照元:日刊ゲンダイDIGITAL、LEE
結婚に至るまでの経緯

交際から結婚へ進む大きなきっかけとなったのは、古田さんが負った怪我でした。
1994年シーズン開幕直後、古田さんは右手人差し指を骨折し、長期離脱を余儀なくされます 。
この大怪我で苦しむ古田さんを見て、中井さんは「傷ついた古田さんのそばにずっといたかった」と強く感じ、入院中も退院後も熱心に看病に通いました。
古田さんが東京に上京してきたお母様を中井さんに紹介したのもこの時期で、家族ぐるみの付き合いが始まったことで中井さんの中で結婚を意識する気持ちがはっきりと芽生えたと言います。
怪我から復帰した古田さんは交際をさらに真剣なものとし、その後正式に中井さんのご両親に「結婚させてください」と申し込みました 。
1995年7月には両家顔合わせとして都内のホテルで食事会が開かれ、同年12月に結婚式を挙げることが両家で確認されたのです 。
そして1995年12月10日、二人は30歳同士でめでたく挙式・入籍しました。
結婚式の披露宴は野球界や芸能界から約500人もの来賓が出席する盛大なものでした。
一方で「一生に一度のウエディングドレスをずっと着ていたい」という新婦・美穂さんの希望からお色直しを行わないなど、アットホームで温かみのあるパーティーにもなりました。
披露宴のスピーチでは、ゲストのプロ野球選手・野茂英雄さんが「中井さんの選んだ相手が変な人でなくてよかった」とユーモラスに述べ、また当時古田さんの恩師である野村克也監督も「契約で金のことばかり言うなよ」とユーモアを交えた“手荒い”祝福の言葉を贈る一幕もありました 。
こうしたエピソードからも、多くの人に祝福されながらの門出だったことがうかがえます。
なお、中井美穂さんは結婚を機にフジテレビを退社しフリーアナウンサーへ転身しています 。
古田さんとの結婚後も仕事を続けたいという中井さんの意思は一貫しており、それを古田さんも快く尊重しました。
古田さんは幼い頃から働く母親を見て育ち、自分で料理や家事をこなす自立心のある方だったため、「仕事をやめてほしい」と中井さんに求めることは一度もなかったそうです。
むしろ古田さんご本人もご家族も「やりたいようにやればいいよ」と中井さんのキャリア継続を後押ししてくれたといいます。
このように、結婚に至るまでの過程でもお互いの人生観を理解し合い、支え合っていたことがわかります。
参照元:日刊ゲンダイDIGITAL、LEE
子供はいるのか?公に明かされている情報
中井美穂さんと古田敦也さんの間に子供はいません。
結婚後しばらくは子どもを望んで不妊治療にも取り組んだそうですが、中井さんの子宮に筋腫(子宮筋腫)が見つかり手術で摘出することになりました 。
しかし手術後の経過が思わしくなく腹膜炎を発症し、続けて腸閉塞のリスクを減らすための手術も行うことになってしまいます 。
何度もお腹を開く大手術を経験したことで、夫妻にとって何よりも中井さん本人の健康を優先せざるを得ない状況となり、結果的に妊娠・出産の夢は一旦脇に置かれる形になったといいます 。
不妊治療から大病まで経験する中で、古田さんは常に妻を支えていました。
治療は女性ひとりではできないため、古田さんも協力し、子どもを授かれなかったことについて決して中井さんを責めるようなことはなかったといいます。
むしろ夫婦二人の生活をまず大切に考え、お互いの健康と仕事に専念しようという理解に自然と至ったそうです。
周囲から「お子さん、早くできるといいですね」「もしかして妊娠ですか?」と心ない言葉を掛けられ傷ついた時期もあったようですが、中井さんは病気と向き合ううちに「何が何でも子どもを」と無理に思い詰めることは次第になくなっていったと振り返っています 。
こうした経緯から、現在までお二人にお子さんはいません。
しかし中井さんご自身は「子がいない人生」を前向きに受け入れており、近年ではNPO法人での活動に力を注ぐなど、別の形で人を応援することが自分の使命だと感じていると語っています。
古田さんもその思いを理解し尊重しており、夫婦二人で支え合いながら人生を歩んでいるようです。
参照元:CHANTO WEB
結婚生活のエピソードと夫婦関係
結婚から約28年が経った現在まで、古田敦也さんと中井美穂さんは円満な夫婦関係を続けています。
もっとも、新婚当初は古田さんが「(妻が)あんなに家に居ないとは思わなかった」とこぼすほど、中井さんは多忙な毎日を送っていました。
フリーアナウンサーに転身後も舞台やミュージカル、宝塚観劇など幅広い仕事や趣味に積極的な中井さんに対し、古田さんは「体育会系だった自分」が妻に合わせて観劇に出かけることも増えたと語っています。
中井さんは演劇関係の審査員を務めるほど舞台に熱心で、年間250本以上観劇することもあるため、その多くが夜の公演です。
必然的に夫婦が一緒に過ごす時間は限られますが、古田さんはそんな妻の世界を尊重し、自らも共に舞台を観に行くなど歩み寄っているのです 。
お二人は普段別々に過ごす時間も多いですが、それを寂しいと感じることはないと言います。
中井さんは「一緒にご飯を食べるのは月に3回くらい」で日常的にべったり過ごす夫婦ではないと明かしていますが、現役選手時代から春季キャンプや遠征で家を空けがちだったこともあり、電話ですぐ連絡が取れる安心感もあってか「寂しいと思ったことはありませんでした」と語っています。
鍵となるのはお互いにストレスを溜めないことで、適度な距離感を保ちながら各自の生活リズムを尊重している点が、この夫婦の円満さの秘訣のようです。
また、家事や仕事の分担についても柔軟です。
前述のように古田さんは妻に仕事を辞めることを求めず、自身も現役時代から家事をこなしてきた自立心のある方です。
一方、中井さんは結婚まで一人暮らし経験がなく家事全般が苦手だったため、最初は人の手も借りながら乗り切ったといいます
その上で「夫がどこまで許容してくれるか」を見極めつつ無理せず分担し、結果的に古田さんも自分のことは自分でできる範囲で行うスタイルに落ち着いたようです。
中井さん自身、「夫のほうが家にいる時間が多いこともありますし、自分で家のことをやることもあります」と明かしており、家庭内では互いにできることをする自然体の関係です。
現役選手の妻といえば栄養管理や身の回りを支える専業主婦のイメージもありますが、中井さんは「もしそういうタイプの人がパートナーだったら夫の現役生活ももっと長くなったのかな、と思うことも正直あります」と述べつつも 、自分たちらしい形で互いを支え合ってきたことに誇りを持っているようです。
さらに、長年連れ添う中で中井さんが大切にしているのが「感謝の気持ちを伝える」ことです。
どちらか一方が日常的にやってくれていることほど当たり前になりやすく、つい感謝を忘れがちですが、「慣れが増長しないよう、折に触れて“ありがとう”ときちんと言葉で伝えること」を心掛けていると語っています 。
例えば中井さんが外出の際に「行ってらっしゃい」の置き手紙を残しても、古田さんに全く気付かれずそのままになっていたり、誕生日にプレゼントを渡してもお礼は言っても結局プレゼント自体は放置されていたり…といった笑い話もあるそうですが、それでもお互いに不満はなく、「それでいいかなって。二人が長く重ねてきた時間、その上にある今の形が私にとって居心地がいい関係性なのかなと感じています」と中井さんは述べています。
長年培ってきた信頼関係の上に成り立つ、自然体で居心地の良い夫婦関係こそが、お二人の結婚生活最大の特徴と言えるでしょう。
参照元:日刊ゲンダイDIGITAL、婦人公論.jp、LEE
まとめ
- 出会いと交際のきっかけ
- 1993年夏、食事会で知り合う
- 中井美穂さんは「野球選手とは結婚しない」と思っていた
- 友人関係から自然に交際に発展
- 結婚に至るまでの経緯
- 1994年、古田敦也さんの大怪我をきっかけに支え合う関係に
- 両親への挨拶や顔合わせを経て、1995年12月に結婚
- 結婚披露宴には約500人が出席し、盛大に行われた
- 結婚を機に中井さんはフリーアナウンサーに転身
- 子供について
- 子供はいない
- 不妊治療に取り組んだが、中井さんの子宮筋腫や手術後の体調を考慮し断念
- 子供を持たない人生を前向きに捉え、現在はNPO活動などに力を入れている
- 結婚生活のエピソード
- お互い多忙で一緒に食事するのは月3回ほど
- 夫婦の距離感を大切にし、無理に合わせることはしない
- 夫・古田さんは家事もこなし、中井さんの仕事を尊重
- 「ありがとう」と感謝の言葉を伝え合うことを意識
- 長年培った信頼関係を大切にしながら、自然体で円満な夫婦関係を続けている
中井美穂さんと古田敦也さんは、互いの個性を尊重し合いながら、独自の夫婦の形を築いてきました。
結婚から30年近く経った今も、変わらぬ信頼と愛情で支え合う二人の姿は、多くの人にとって理想的な夫婦像といえるでしょう。
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